飛ぶように過ぎていく景色を傍らに、疲れきった身体を新幹線の座席に沈めた。軽く目を閉じて、長かった2週間の出張を振り返る。慣れない場所で仕事をし、見知らぬ人間に気を使い、親睦会という名の飲み会では幹部の酒の相手。さらには、会社が用意したビジネスホテルの狭いユニットバスや固いベッドも、すべてが国見のストレスの一因だった。

大学卒業後、今の会社に就職して早6年。会社での立場が若手社員から中堅社員へと変わりつつある6年目社員は、最近では新人社員の教育を任されたり、役員を前にプレゼンをしたりと、これから会社を担っていく人材として活躍の場を広げていた。そして国見も例に漏れず、来年立ち上がる新しいプロジェクトの推進リーダーに抜擢され、今回の出張への参加を余儀なくされたのだ。

これまでにも、何度か出張に行った経験はある。だが、それは先輩のお供であったし、出張期間も2〜3日でまるで旅行気分だった。今回は2週間もの間、責任ある立場として参加しており、仕事帰りにちょっと観光しようなんて気は一度も起きなかった。今後もこんな出張があるのかと思うと憂鬱で、国見は大きく溜息をついた。

憂鬱になる原因は、もう一つある。スーツのポケットからスマホを取り出し、新着メッセージのない画面を見つめた。

「どういうつもりだよ…」

思わず呟いた言葉には、苛立ちと若干の不安が含まれていた。2週間の出張中、国見の携帯は鳴りっぱなしだった。しかしそれは仕事に関わるものばかりで、プライベートなものといえば、学生時代の先輩や友人から飲みの誘いがきたくらいだ。絶対に毎日電話してくるに違いないと思っていた恋人からは、電話はおろか、メールすら一度もなかったのだ。彼女も忙しいことは知っているが、一度も連絡をしてこないというのは想定外だった。

(普段はうざいくらいなのに…)

柄にもなく少し不安になる自分に驚いて、国見はそれを掻き消すように買っておいた駅弁の包みを破り始めた。これを食べ終えたら寝ようと決めて、国見はできるだけ何も考えないように冷めた焼き魚を口へ運んだ。





◆ ◆ ◆




終着駅を知らせる車内アナウンスで国見は意識を浮上させた。気だるい身体に鞭を打って、スーツケースを手に列車を降りる。明日は休みをもらってるし、早く帰って寝ようと国見は足早に改札口を抜けた。

「あきら!」

改札を出た途端、やけにテンションの高い声に呼ばれて振り向くと、そこには満面の笑みでこちらへ向かってくる恋人の姿。今日帰ることは伝えていたが、駅に着く時間なんて言った覚えはないのに、なぜ彼女はここにいるのか。突然のの登場に混乱した国見は、ひとまずその疑問を解消することにした。

「…なんでいるの」

「今日帰ってくるのは分かってたから、待ってた」

「待ってたって、いつから?」

「…仕事終わってから、かな」

その答えに国見の眉間にぐっと皺が寄った。確かに彼女の出で立ちを見てみれば、白いカッターシャツにグレーのスカートと通勤スタイルのままだ。別の会社に勤めるの終業時間は18時だが、腕時計の針はすでに22時を回っている。ということは、彼女は4時間以上もここで国見の帰りを待っていたことになる。厳しい視線を寄こす国見から目を逸らすだが、その行為が事実であることを語っていた。

「はぁ…駅に着く時間くらい聞けばいいだろ」

「仕事の邪魔しちゃ悪いと思って。でも、早く会いたかったから」

その言葉に、国見は思わずを腕を引いて抱き寄せた。腕の中から「英!?」と焦ったような声が聞こえるが、力を緩めることはしない。普段なら人の往来が多い場所でこんなことは絶対にしないのだが、2週間もの間、声すらも聞けなかった事実は、思っていたよりも国見の精神を蝕んでいたらしい。触れるぬくもりに、国見はだんだんと気持ちが落ち着いていくのを感じていた。

「はぁ〜落ちつく。俺、がいないとダメなのかも」

「ど、どうしたの英!」

「どうもしないけど。あ、今度の日曜日空けといて」

「日曜日は空けとくけど…ていうかね、」

腕の中のが少し言い辛そうに、国見から視線を外した。「なに?」と先を促すと、は小さく「明日も空いてるんだけど」と呟いた。

「いや、英が疲れてるのは分かってるんだけどね!でもほら、英も休みだって言ってたし、私も2週間仕事頑張って有休とったの。だからね、明日一緒にいてもいい…?」

言い訳するように早口で喋ったかと思うと、最後は少し伺うようにこちらを見上げてくる。そんなに新幹線の中で不安に駆られた自分が馬鹿馬鹿しくなって、国見は思わず笑みを浮かべた。

「じゃあ、明日は指輪でも買いにいくか」

「指輪?」

「あ、これじゃ順番が逆か。、俺の奥さんになって」

今回の出張で自覚したが、国見にとってはダイヤモンドの指輪のような存在だ。当たり前のようにいつも傍にいて、いないと不安になって、ずっと隣で笑っていてくれたら嬉しいと思える相手。地元の駅構内でプロポーズなんてロマンチックのかけらもないけれど、今この瞬間からを自分のものにしたいと強く思ったのだ。

「返事は?」

嬉しさと驚きのあまり、涙で顔をぐちゃぐちゃにしたがしっかりと頷いたのを見て、国見は満足そうに笑った。そして、置き去りにしていたスーツケースを片手に自宅へと歩き出す。もう片方に、明日にはダイヤモンドが光るであろう彼女の左手を握って。








            ダイヤモンドに捧ぐ