自慢じゃないけれど、女の子に不自由をしたことはない。自分の顔がいわゆるイケメンに分類されることは自覚しているし、スポーツは得意だし、性格だって悪くない。(幼馴染にはクズだなんて言われるけど。)だから、言い寄ってくる女の子はたくさんいたし、恋愛経験もそれなりだ。そんな俺が、まさかこんな事態に陥るとは――。
世界史の教師としてこの高校に赴任して3年。生徒たちは懐いてくれているし、同僚の教師との人間関係も良好だ。そんな順風満帆な教師生活に変化をもたらしたのは、一人の女子生徒だった。
彼女の名は。バッチリ化粧をするような派手なタイプではなく、校則違反にならないくらいのスカート丈のごく普通の女子高生。特別美人なわけでも、魅惑的なスタイルをしているわけでもない。ただ、その射抜くような瞳に強烈に惹かれた。あの瞳に見つめられると身体が熱くなって、自分でも信じられないのだが、俺は確かに彼女に欲情している。俺は教師で、彼女は生徒だというのに。
◆ ◆ ◆
「、あと5分だからね」
「はい」
誰もいない教室にふたりきり。定期テスト期間に風邪をひいて欠席したは、現在補習テストを受けている最中だ。監督役を引き受けた俺は、ここぞとばかりに彼女を観察してみる。染めた形跡のないストレートの黒髪、つけまつげやマスカラなんてしなくても十分に長い睫毛、色つきリップでも塗っているのかほんのり朱い唇、シャーペンを握る細い指。どれも魅力的だけど、今は答案用紙に向けられている瞳がやっぱり一番きれいだと思う。
「はい、おつかれさま」
「やっと終わった〜」
テストの終了時刻を告げると、はようやく解放されたテストに安堵の声を上げて大きく伸びをした。彼女から答案用紙を受け取って、きちんとファイルに閉じておく。ふと、視線を感じて顔を上げると、はあの強い瞳をまっすぐに俺に向けていた。どこか挑戦するような不敵な瞳に心臓がドクリと音を立てるが、それを悟られないようににっこり笑ってみせる。
「どうしたの、。俺に惚れちゃった?」
「それは先生のほうでしょう?」
いつも生徒たちにするような調子で冗談めかして言った言葉だったのに、思わぬ返答にギクリとした。なんとか取り繕おうと、教材やファイルを整えるフリをしながら必死で言葉を探す。
「…何言ってんの。先生が生徒に惚れたら大問題デショ」
「隠さなくてもいいよ。及川先生が私のこと、やらしい目で見てたの知ってるから」
今度こそ、俺の動きが止まった。否定するのも忘れるくらいの衝撃だった。目を見開く俺に、は楽しそうに朱い唇を弧にして笑う。
「なんでって顔してるけど、先生ってかなり分かりやすいよ。視線感じて顔上げたら、いつも先生が私のこと見てるんだもん。
しかも、餌を狙う肉食動物みたいにギラギラした目で」
どうやら必死で隠してきた俺の邪な感情は、すべて彼女に知られてしまっていたらしい。さぞ、不快な思いをさせてしまったに違いない。生徒にこんな感情を抱くこと自体許されないというのに、こうなった以上はここで教師を続けるわけにはいかないだろう。頭の片隅で、幼馴染が「クズ川!」と罵る声が聞こえた気がした。
「ね、及川先生。キスしよっか」
「…え?」
「はい、どーぞ」
退職届ってどうやって書くんだろう、あとでネットで調べようなんて現実逃避していたら、いつの間にかは席を立って俺との距離を縮めていた。そして、とんでもない言葉とともに瞳を閉じて無防備な唇をこちらに向ける。何が起こっているのか理解できていない俺は、じっとその唇に視線を注ぐだけで、固まったままだ。それに痺れを切らしたのか、の瞼が持ち上げられて、そこに情けない顔をした自分が映る。
「先生、私のファーストキスはいらないの?」
挑戦的な瞳だった。俺を試しているような、嘲笑っているかのような。
本当は、今すぐ彼女の朱い唇を塞いでやりたい。胸元のリボンを解いてやりたい。華奢な身体を掻き抱いて、その瞳に俺以外が映らないように腕の中に閉じ込めてやりたい。だけど、自分が教師だという事実がそれを踏みとどませる。
「俺は教師では俺の生徒なんだから、そんなことできるわけないデショ」
いつもと同じように笑えているだろうか。いつもと同じ“及川先生”を演じられているだろうか。そうやって必死に教師でいようとする俺に、は不満気な顔をしてみせる。
「私、及川先生になら処女あげてもいいのに」
…頭を抱えたくなった。頼むから、俺のなけなしの理性をこれ以上崩そうとしないでくれ!そんな俺の内心を知ってか知らずか、は急にキラキラした瞳でこちらを見上げてくる。その瞳も好きだなんて思う俺は、本当に教師失格だ。
「先生が私にキスするのが問題なら、こうすればいい」
どういうことだと考える前に、の細い手が俺のネクタイを掴んで引っ張ったかと思うと、次の瞬間には俺の唇が彼女の唇を塞いでいた。触れるだけのキスなのに、そこから熱が伝染するように全身を巡って、頭がくらくらする。抱きしめることも突き放すこともできない俺は、背伸びしていたが唇を離すのをジッと待つしかなかった。
「…何やってんの」
「私からキスすれば問題ないでしょ?」
「そういうことじゃなくて!…、キスは好きな人とするもんだよ。もっと自分を大事にしなさい」
俺なんかに言われても説得力ないだろうななんて、自嘲しながらそう言った。それでも、一時のテンションで彼女が身を滅ぼすことがないように。最後くらいは教師らしく。
「あのね先生。私、好きでもない人にキスしたりなんかしないよ?」
「は…」
その言葉の真意はなんだろうか。都合のいい解釈しかできなくて、俺の頭は混乱する一方だ。そんな俺にとどめを刺すように、彼女はあの射抜くような強い瞳で言い放った。
「及川先生、私と秘密な関係はじめませんか?」
秘めごと