まだ人が疎らな早朝の教室で、私は一人緊張していた。この週末は岩盤浴で汗を流し、美肌パックとトリートメントでしっかりケア。早起きした今朝は念入りに髪のブローをして、制服のブラウスもいつもより丁寧にアイロンをかけた。だから、大丈夫。そう自分に言い聞かせて、すうっと深呼吸をする。今日こそは、二年前から片想いしているあの人に「おはよう」と言うと決めたんだから。間違っても告白ではない。残念ながら、告白できるほど私と彼は親しい関係にないのだ。
私が彼――国見英くんに一目惚れをしたのは、中学1年の冬だ。それから中学校を卒業するまでの二年間、私はひっそりと片想いを続けていた。平凡であることを十分に自覚している私は、ただ見つめるだけ。会話なんてもってのほか、同じクラスですらなかった私を国見くんが認識していたかさえ危ういと思う。
だが、そんな私を神様は見捨ててはいなかった。同じ青葉城西高校に進学した私たちは、ついにクラスメイトになったのだ。それどころか、隣の席というサプライズ付き。これは、もうヤルしかないだろうと一念発起したわけだ。
そんなわけで、まずは国見くんに「おはよう」と挨拶することを目標に掲げてみたのだが、実はすでに7回失敗している。毎日朝練を終えてやってくる国見くんは、席に着くとHRが始まるまで机に伏せて眠ってしまう。緊張している私は、いつも声をかけるタイミングを逃してしまうのだ。だけど、今日こそは!時計を見上げれば、針は8時過ぎを示していた。そろそろ、国見くんがやってくる頃だと耳を澄ませれば、廊下から複数の足音と会話が聞こえてくる。ギュッと両手を握って、私は教室の扉が開くのを待った。
「じゃあな、昼のミーティング忘れんなよ」
「おー」
チームメイト(たぶん、あの声は金田一だ)に適当に応える声と同時に教室の扉が開く。姿を現した国見くんは、やっぱり今日もかっこいい。ドキドキ高鳴る心臓を抑えつけて、国見くんの一挙一動を見守る。ゆっくりと此方へ近づいてくる国見くんに、浅い呼吸を繰り返して、もう一度「おはよう」の4文字を頭の中でシミュレーションした。そして、自分の席に辿り着いた国見くんに向けて口を開く。
「っ、おはよう!」
「ん、はよ」
気合いが入りすぎて少し裏返ってしまったけれど、ちゃんと言えた。しかも、国見くんから「おはよう」って挨拶してもらっちゃった!初めて交わした会話に、私のテンションは一気に上昇する。それからHRが始まるまでの間、私の脳内では国見くんの声が延々とリピートされていたのだった。
◆ ◆ ◆
「もう、とにかく国見くんかっこいい…!」
「はいはい」
今朝の出来事を興奮気味に話す私に、どうでもよさそうな返事を返すのは金田一勇太郎。中学校から国見くんと同じバレー部に所属していて、たぶん国見くんと一番仲がいい友達だと思う。ずるい。そして、私はこの金田一と中学3年間クラスメイトだった。私が国見くんに片想いしていることを知っている、数少ない人間である。どうせなら、国見くんと同じクラスがいいと愚痴ったのも、今じゃいい思い出だ。
「もう、今日は記念日だね!帰りにケーキ買って帰ろう」
「ただ挨拶しただけだろ、大袈裟なヤツ」
呆れたように呟く金田一をキッと睨みつけた。私が国見くんを好きになってから二年間かけて、ようやく交わした会話なのだから大袈裟でもなんでもないと思う。そして、これをキッカケに何とかお近づきになりたいのだ。そのために、私はわざわざ金田一のクラスにやって来たのだから。
「ね、国見くんが好きなものってなに?」
「なんだよ、急に」
「何でもいいから、国見くんとの会話に役立ちそうな情報ちょうだい」
挨拶という第一段階は突破したから、次は少し会話がしてみたい。私が国見くんに話しかけるにあたっては話題にするネタと脳内シュミレーションが必要なのだが、それには情報が足りなさすぎる。悔しいけれど、現時点で国見くんのことを知っているのは間違いなく金田一の方だ。
「好きなもの…あ、バレー?」
スパンっといい音が鳴り響いた。私がノートで金田一の頭を叩いた音である。
「いってーな!何すんだよ!」
「あんたバカ?国見くんがバレー好きなことは私だって知ってるわ。そうじゃなくて、好きな食べ物とか好きな歌とかあるでしょ?
ほんと、らっきょなんだから」
「らっきょ言うな!」
らっきょに過剰反応した金田一を一頻り笑った後、「で?」と国見くんの好きなものの答えを急かすと、金田一は記憶を探るように考え込む。なかなか出てこない回答に、男の子同士ってあんまりそういう話はしないのかななんて考えてみる。そもそも国見くんと金田一って、普段どんな会話してるんだろう?すごく気になる。
「あ、そういや塩キャラメルよく食ってんな」
「塩キャラメル!?」
塩が効いてるとはいえ、甘いもの嫌いそうなのに意外!でも、塩キャラメルを食べてる国見くんって想像するとかわいい。甘いもの好きなら、お菓子とかあげたら喜んでくれるかな?得意ではないけれど、国見くんのためならお菓子作りだって精進しますとも。あれ、塩キャラメルって手作りできるのかな…早速レシピ調べなきゃ。
「さすが金田一、有益な情報ありがとう!次もよろしくね!」
そう言って席を立った私に、金田一は「現金なヤツ」と苦笑いをして見送ってくれた。持つべきものは友達だね!予鈴に少し早足になりながら駆け込んだ教室で席に着く。隣を盗み見れば、ふわ…と欠伸をする国見くん。緩む頬をなんとか取り繕って、私はこっそりと塩キャラメルをプレゼントする算段を立て始めた。
Step1:恋がはじまる