「はぁ…」
深い溜息をついた私に怪訝そうな顔を向けたのは、隣の席の男子生徒。そこに座っているのは私の片想いの相手ではなく、友人兼相談相手の金田一だ。彼は国見くんに何か用事があるらしいのだが、あいにく国見くんは先ほど職員室へ連行されてしまった。ちなみに、罪状は授業中の居眠り。残念ながら、寝顔は拝めなかった。
「でっけー溜息ついて、どうした?」
「…占いが当たりすぎてつらい」
「はぁ?」
毎朝、我が家のリビングに流れている朝の情報番組。その最後にある星座占いのコーナーを見てから学校へ行くのが私の日課なのだが、もちろん結果がいい日もあれば悪い日もある。そして、どうやら今日は悪い結果の日のようだった。順位自体は6位と中間地点なのに、『ハプニングに注意!』という内容が怖いくらいに当たっている。朝は玄関で転んだし、体操服は忘れるし、購買ではお気に入りのメロンパンが目の前で攫われていった。そんなハプニングの数々を聞かせると、金田一が他人事のように笑ったので軽く殴っておく。
それにしても、本当に今日はツイてない。学校が終わったら、さっさと帰ろう…
◆ ◆ ◆
そう心に決めていたはずなのに、なぜ私はまだ学校にいるのか。窓の外はとうに日が暮れて、とっぷりとした闇に包まれている。壁際に掛けられた時計を確認すれば、針はすでに午後7時半過ぎを指していた。
「なんで今日に限ってこんな…」
宣言通り即刻帰ろうとした私を引き止めたのは、担任教師だった。急遽、私の所属している図書委員会が蔵書整理をすることになったから、図書室へ行くようにと言い渡されてしまったのだ。蔵書整理なんて半年に1回くらいしかしないのに、よりよって今日やるなんて!本当はそんなもの放って一刻も早く帰りたかったが、チキンな私に委員会をサボるなんてできるはずもなく。結局、素直に図書室に向かって蔵書整理を手伝った私は、こんな時間まで学校に残っているのだ。ちなみに、蔵書整理中も本棚から落下した分厚い図鑑がおでこに直撃するというハプニングに見舞われた。痛かった。
妙に疲れた身体を引きずるように昇降口へ向かい、靴を履き替える。ちょうど部活動をしていた生徒たちも帰宅する頃合いのようで、校門の周りにはジャージ姿の集団がいくつか固まっていた。きっと国見くんも遅くまで頑張ってるんだろうななんて思いながら、その集団の隙間を縫って校門をくぐる。
「あれ、?」
と、集団の中から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、高身長な集団の中でも一際大きい金田一が驚いたようにこちらを見ていた。金田一の声に誘われるように、高身長集団が一斉に私を見る。こわい。金田一の隣に立っていた国見くんもこちらに目を向けたので、恐怖とは別の意味で私の心臓は一気に加速していく。
「お前、こんな時間まで何してんだよ?」
「図書室の本の整理を頼まれちゃって。一応、図書委員だし」
「へぇ、大変だな」
金田一と話しながらも、私の意識はその隣の国見くんに釘付けだ。帰宅部の私は、初めて彼のジャージ姿を目にしたのだけれど、似合いすぎてて直視できない。でも、せっかくのチャンスなので、国見くんのジャージ姿を脳内に焼きつけておこうとチラチラ盗み見していたら、ふと国見くんと目が合ってしまった。
「、家どっち」
そうして放たれた言葉。初めて国見くんに名前呼ばれた!一気に頬が熱くなる感覚がしたけれど、周りは暗いし気づかれてないよね?うるさい心臓を悟られぬよう、できるだけいつも通りに振る舞う。
「えっと、あっちです」
あっちと言いながら、自分の家がある方向を指さしてみせる。何かあるのかな?首を傾げる私に、国見くんは更なる衝撃を与えた。
「俺、同じ方向だし送る」
「…えぇ!?いや!そんなの悪いし、家遠くないし、一人で帰れるから!」
国見くんの言葉を理解した途端、私はものすごい勢いで首を横に振った。送ってもらうなんて…!そんなの、嬉しいけど無理!!必死で大丈夫だと訴える私に、今度は金田一が口を開く。
「もう暗いし、送ってもらえば?」
なんとなくニヤついている金田一に苛立ちながらも、頭の中は大混乱だ。そんな私をよそに、国見くんの中で私を送ってくれることは決定事項らしく、彼は部活の先輩たちに「じゃ、お疲れ様でした」と挨拶を済ませると、一人歩き出してしまった。先輩の一人(名前は忘れたけど、女の子に大人気の先輩だ)が「国見ちゃん、男前だね〜」なんて茶化している。どうしたらいいか分からない私を金田一が「ほら」と急かすので、集団に向かって小さく会釈すると、言われるがまま少し先を行く国見くんの背中を追った。
「………」
「………」
小走りで追いついた私は、国見くんの隣に並ぶ勇気がなくて、半歩後ろ辺りをついていく。話しかけるなんてできなくて沈黙が流れるけれど、こんな近くに国見くんがいて、しかも二人きりで歩いているだなんて夢みたいだ。嬉しいハプニングが起きたことで、これまでの不運なんてどこかに飛んで行ってしまった。自然と頬を緩ませていると、急に国見くんがピタリと足を止めて、私を振り向いた。うわ、私、今絶対変な顔だった…!
「なんで後ろ歩いてんの?隣くればいいのに」
ちょっと拗ねたように言う国見くんに、私はポカンとしてしまう。ジッとこちらを見つめる国見くんに、私は何か言わなければと頭をフル回転させた。
「いや、その、隣は恐れ多くて」
頭をフル回転させた結果がこの回答。恥ずかしくて顔が上げられない。俯く私の頭上から、突然吹き出すような声が聞こえたかと思うと、続けてクスクスと笑い声が辺りに響いた。恐る恐る顔を上げると、国見くんが「、おもしろいな」と言いながら笑っている。喜んでいいのか微妙だけど、国見くんが笑ってくれたのだから、よしとしよう。ポジティブシンキングって大事。
「とにかく、隣歩けよ。後ろだと、ちゃんと着いてきてるか分からないし」
「…はい」
ようやく笑いのおさまった国見くんにそう言われて、私は素直に頷くと、緊張しながら国見くんの隣に並んだ。そっと隣を見上げれば国見くんの端正な顔があって、爽やかな色合いのジャージに包まれた腕が今にも触れそうな位置にある。その事実に眩暈がした。
「そういや、なんかデコ赤くなってるけど」
「これはちょっと図鑑が落ちてきまして…」
「は、意外とドジだな」
また国見くんが小さく笑った。その笑顔にほんのりと心が温かくなる。今日はなんだか、いろんな国見くんが見れて貴重だ。ほっこりしながら歩いていると、そんなに遠くもない私の家が見えてきた。普段は学校から近くて楽だけど、今日ばかりはもっと遠くに住んでいればよかったと思う。
「国見くん。うち、あそこだから、ここで大丈夫だよ?」
「どうせだから、家の前まで送る」
「…うん」
そう言って、国見くんは家の前まで送ってくれた。玄関の前でくるりと踵を返して、国見くんを見つめる。
「あの、送ってくれてありがとう。国見くんも気をつけて帰ってね」
「ん、それじゃ」
「また、明日!」
去っていく国見くんの背中が角を曲がって見えなくなるまで、私はその場に立ち尽くしていた。いつか、こうして国見くんと一緒に帰ることが日常になればいいのに。そんな夢物語を思い描きながら、今日の幸せを噛みしめて、私は玄関を開けると上機嫌で「ただいま!」と叫んだ。
Step3:木曜日の星占い