国見英という人間は、基本的に感情を露わにしない。内心で様々な感情が渦巻いていたとしても、表面上は常に冷静であろうとする。それは強がりではなくて、単にそういう性格なのだ。だから、こんな時であっても、国見の表情にはほとんど変化が見られなかった。
インターハイの宮城県予選の決勝戦で、青葉城西高校は宿敵である白鳥沢学園に敗れた。立ちはだかる高い高い壁を切り崩すことは、またも叶わなかったのだ。打倒・白鳥沢を掲げてきた及川や岩泉ら3年生は当然悔しさを露わにしたし、金田一もギュッと拳を握って泣くのを堪えている。そんな彼らを見つめながら、なんとなく場違いな気がした国見はそっと控え室を後にした。
特に目的地があるわけではないが、誰もいない場所へ行きたかった。喧騒の中、ゆっくりと足を進める。途中で見つけた自動販売機でスポーツドリンクを買って、体育館の裏手に回ると、そこには人影一つない。静かな場所を見つけて、国見はコンクリートの上に腰を下ろした。
スポーツドリンクで喉を潤し、小さく息をついた。負けたことは素直に悔しいと思う。少々サボり癖はあるものの、精一杯にバレーに打ち込んでいるつもりだし、勝って全国に行きたいという目標もあった。ただ、それが表面にあらわれない。国見には彼らのように悔し涙を流すことはできなかった。そして、どうしてもあの控え室に自分が居ることが不釣り合いに思えて仕方なかったのだ。
「こんなところにいた」
静かだった場所に、聞き慣れたソプラノが響いた。声の方へ顔を向けると、体育館の陰からマネージャーのが姿を現した。彼女は、いつもどおりに笑って国見の隣に腰を下ろす。
「ここで何してんの?」
「…別に」
悔しいという思いを表に出せなくて、泣くことができなくて居た堪れなくなっただなんて、言えるわけがない。誤魔化すように手元のペットボトルを口へ運んだ。すると、トンと軽い衝撃があって隣を見やると、が国見の肩に頭を預けるように乗せていた。
「何してんの」
「んー…なんとなく、こうしたかったから」
怪訝そうな国見に、はそう答えて国見の肩に凭れたまま目を閉じる。右肩に重みを感じながらも、国見は何も言わなかった。じんわりと広がる熱が、なぜか国見を安心させる。さっきまで誰もいない場所にいたかったというのに、今は隣の熱がこんなにも心地良い。辺りには風に揺られる葉だけが、音を奏でていた。
「あのね、」
沈黙を破ったのはだった。国見は返事をしなかったが、はそれを分かっているかのように言葉を続ける。
「私、知ってるから。英がちゃんと悔しいって知ってるよ」
心の中を見透かされたのかと思った。国見は目を見開いて己の肩にある小さな頭を見つめるが、は目を閉じたままだ。ただ、そっと添えられた左手が国見の右手を包み込んだ。
「英は泣いて悔しさを晴らすことをしないだけでしょ。ちゃんと悔しくって、だからまた頑張るの」
「……」
「それに涙にはストレス物質が含まれてるから、泣くことで悔しさを忘れちゃうかもしれないんだよ?そんなの勿体ないじゃない。
この悔しさは、きっと頑張るエネルギーになるのに」
不思議と、の言葉は沁み渡るように国見の中にすっと受け入れられた。泣かなくてもいいんだと、泣けなくてもいいんだと知って、気持ちが楽になった気がした。知らぬ間に力が入っていたらしい身体が、軽くなるのを感じる。ふと右肩の方を見ると、いつの間にかは大きな瞳をこちらに向けていて、少しだけ不満そうに言った。
「英のこと、私だけが知ってたらよかったんだけどね。残念ながら、先輩たちも金田一も全部分かってるよ」
「…なにそれ」
どうやら、国見が一人で抱えていると思っていた葛藤はチームメイトにも周知の事実らしい。照れ隠しに呟いた憎まれ口もにはお見通しのようで、彼女はクスクス笑った後、国見の手を握り直して言った。
「みんなのところに戻ろう?」
認めたくないけれど、のおかげで漠然とした不安のような居た堪れなさはすっかりなくなっていた。国見を立たせようと腕をぐいぐい引っ張るの腕を掴んで、少し力を入れて自分の方へ引っ張る。そうすると、いとも簡単に彼女は国見の腕の中に飛び込んできた。つい先程までがとてつもなく大きな存在に感じていたのだが、こうして腕の中に閉じ込めてみると、の身体はとても小さい。そして。
「あったけー…」
じんわりと感じる熱が、国見に伝染していく。それは闇の中にほんのり灯る蝋燭のような、月明かりのような。恥ずかしいのかジタバタと暴れるを名残惜しいと思いながらも解放する。離れていく直前に、そっとの額に口づけを落とした。真っ赤に染まる彼女を見ながら、すっかりいつもの調子を取り戻した国見は、軽やかにチームメイトが待っているであろう控え室へと足を進める。温もりが離れぬよう、しっかりとその熱と隣に並んで。
フレアスタック