時の流れは早いもので、私が男子バレー部のマネージャーになって三年になる。今でこそルールも完璧に分かるし、マネージャー業もそれなりに板についたけれど、初めは本当に大変だった。バレーなんて体育以外にやったこともなかったし、マネージャーの経験もない。まさにゼロからのスタート。そんな私がなぜバレー部のマネージャーになったのか。
それは、すべて及川徹のせいである。
及川徹――彼を校内で知らない人はいないだろう。イケメンでバレーが上手くて、みんなの人気者。きっとそれが一般的な及川のイメージだ。だけど、私にとっての及川はそうではない。
「みたいな不細工が俺を好きになるなんて有り得ないよね?だからさ、マネージャーやってよ」
これは、及川が私をマネージャーに勧誘したときの言葉だ。自らマネージャーに志願する可愛い女の子たちは及川狙いで部活に支障が出て困るけれど、不細工な私ならそんなおこがましいこと考えもしないから安心だ。薔薇色とまではいかなくても、素敵な高校生活を夢見ていた私に及川は笑ってそう言ったのだ。そうして、私を半ば強制的にマネージャーにした及川は、その後も私を不細工と貶しながらバレーに勤しんでいる。
もちろん、何度も辞めようと思った。嫌な言葉を浴びせられて平気なわけはないし、そんな特殊な性癖も持ち合わせていない。だけど、岩泉や花巻、松川といった及川以外の三年生はいい奴らだったし、後輩たちも可愛い。そうしているうちに私もバレーにハマってしまい、今では立派なバレー馬鹿に成長してしまった。及川を含めて、青城バレー部を好きになってしまったのだ。
そんな三年間で、及川の暴言にも彼のファンからの嫌がらせにも慣れたつもりだ。だけど、普段なら聞き流せるそれらも一日のうちに何度も繰り返されれば私だって気が滅入る。
今日は朝練に行くなり、及川に「いつもより不細工!ちゃんと目開いてんの?」と言われた。ちょっと寝坊しただけなのに、ひどい言われ様だ。さらに最近は少なくなっていたというのに、及川ファンからの呼び出しを二回も受けた。
「及川さんも迷惑してるんだから、さっさとマネージャー辞めなさいよ!」
「不細工のくせに及川さんの近くにいるなんて図々しい!」
そんなこと、言われなくても分かってる。だけど、私をマネージャーにしたのは他でもない及川なのだ。文句なら彼に言って欲しい。そう声を出して言いたいけれど、きっと彼女たちを余計に煽るだけだからと、黙って拳を握って耐えた。だけど、そうして最悪な気分で迎えた放課後、精神的に限界だった私は体育館で放たれた及川の一言に耐えきれなかった。
「ってホント不細工だよね〜」
いつもみたいに笑いながらそう言った及川の言葉がグサリと突き刺さる。目頭が熱くなって、じわじわと水が溜まっていくのが分かった。ぼやけた視界の向こうで、及川が驚いて固まっているのが見える。何とか涙をこらえようと唇を噛んだけれど、それは重力にしたがって零れてしまった。一度流れた涙は留まることを知らず、次から次へと溢れてくる。
「ちょ…ちょっと、?」
「……っ」
これ以上泣き顔を見られたら、また及川に不細工呼ばわりされるに決まってる。そう思ったら余計に泣けてきて、私はようやく絞り出した声で「ごめん…」と断って、足早に体育館を後にした。出入り口で国見と金田一が挨拶してくれたけれど、とても後輩に見せられるような顔じゃなくて、私は逃げるようにトイレに駆け込んだ。
◆ ◆ ◆
「あの、さん、泣いてましたけど…何かあったんですか?」
と入れ違いで入って来た金田一が怪訝そうに尋ねた。何があったかなんて、そんなの俺が聞きたいよ!
「及川が泣かしたんだよ」
思わぬ出来事に放心状態だった俺の代わりにマッキーがそう答えた。国見ちゃんと金田一の冷たい視線を浴びて、慌てて弁解する。
「違っ…あんなの、いつも言ってることじゃん!」
「それがダメだろ。普通、女子に不細工なんて言わないし」
「だいたい、ってそんな不細工じゃねーだろ」
「俺はさんみたいなタイプ、結構好きですよ」
「お、国見ってば大胆発言〜!」
マッキーや岩ちゃんたちが好き勝手に言う中、考えるように沈黙していた松つんがとんでもないことを言い出した。
「つーかさ及川、いい加減素直になれば?お前見てると、好きな子にチョッカイ出してる小学生にしか見えない」
「はぁ!?何言ってんの!?」
俺がを好き!?まるで見当違いな松つんの言葉に、有り得ないと首を振る。別にが嫌いなわけではないけれど、見ているとイライラするのだ。
「だって、お前が暴言吐く女子ってだけだし」
「それはが可愛くないから!俺の前じゃ全然笑わないし、最低限しか話してくれないし。ほんとムカツク!」
「な?」
俺が力いっぱい反論しているというのに、松つんが同意を求めると、岩ちゃんもマッキーも国見ちゃんも金田一ですら頷いて、かわいそうなものを見るような目で俺を見る。なんなの!その目は!
「お前がアホだってことは分かったけど、「岩ちゃんヒドイな!」…にはちゃんと謝れ」
「う…分かってるよ」
俺だって罪悪感は感じている。別にを泣かせたかったわけじゃないのだ。ただ――。
「あれ、何やってるの?時間過ぎてるよ?」
いつの間にか体育館に戻って来たらしく、背後からいつも通りのの声が聞こえて、ギクリとした。振り返って彼女の顔を見ると、目が合った瞬間にそらされてムッとする。だけど、まだ少し赤くなっている目元に何も言えなくて、モヤモヤを抱えたまま、練習開始を告げた。
◆ ◆ ◆
結局、その日はに謝るどころか目を合わせることもなく練習は終了した。クールダウンしながら、一人で散らばったボールを拾い集めているを見つめる。手伝いを申し出た一年生に笑いかけている彼女にイライラが募った。
『お前見てると、好きな子にチョッカイ出してる小学生にしか見えない』
さっきは勢いで否定した松つんの言葉が不意に蘇ってきて、冷静に彼女について考えてみる。は大所帯のバレー部を支える優秀なマネージャーだと思う。本当は顔だって別に不細工じゃないし、むしろ彼女が笑うとほんわかした暖かい気持ちになれる。
ただ、その笑顔が俺には向けられないのがムカツク。他にも気に入らないところはたくさんあって、それは腕相撲のときは絶対に岩ちゃんを応援するところとか、マッキーとシュークリームを半分こにしたりするところとか、松つんと宿題を見せ合うときに距離が近すぎるところとか、国見ちゃんや金田一の頭を撫でて笑っているところとか、それから、俺のファンに理不尽な嫌がらせをされても泣き言も言わずに一人で我慢しているところとか。
「だから、それ嫉妬だろ」
「え…?」
に対して常々思っていたことを口に出してみれば、松つんが呆れたようにそう言った。
「つまりさ、及川はが他の奴らと仲良くしてるのが嫌なんだろ?」
同意するように岩ちゃんもマッキーも大きく頷いていて、もう一度よく考えてみる。は俺と話すとき、ほとんど目を合わせてくれない。ただ唯一、が俺だけを見てくれる瞬間があって、それは俺が彼女を不細工だとか可愛くないと罵るときだ。例えその視線が嫌悪だとしても、そのときだけはが俺を見てくれる。
あぁ…そうか。だから、俺は毎日のように彼女に心にもない暴言を吐くのか。
「どうしよう…俺、のことすっごく好きかも」
「今さら自覚したのかよ」
「ま、自覚したところでには嫌われてるけどな」
他人事のように笑うマッキーを睨んでみたけれど、悔しいことにその通りだ。俺は毎日のようにを不細工だ可愛くないと罵っていて、そんな俺に彼女がいい印象を持っているはずがない。そのうえ、今日は泣かせてしまった。自業自得とはいえ、始まる前に終わりを迎えた気分だ。だけど。
「…告白してくる」
「はぁ!?」
俺の宣言にみんなが素っ頓狂な声を上げたけれど、自覚したらジッとなんてしてられない。俺はが大好きだってことを知ってもらわないと。部誌を片手に体育館を出て行こうとしていたを呼び止めて、怪訝な顔をする彼女の前に立った。
「…なに?」
「俺さ、見てたらムカツクんだよね」
「っ、わざわざ悪口言うために呼びとめたわけ?」
「だけど、本当はそうじゃなくて、」
俺よりずっと低い位置から睨みつけるの目には薄く水が張っていて、怒りからか肩は少し震えている。ふぅっと大きく深呼吸をして、目の前のを抱きしめた。
「は…ちょっと、及川!?離して!」
腕から逃れようとするだけれど、男の力に敵うわけがない。逃がすものかと暴れる彼女を抱きしめる腕に力を込めて、耳元に唇を近付けた。四方八方から興味津々な視線が突き刺さる。
「好きだよ。のことがすごく好き」
それまでジタバタと暴れてた彼女が、急に大人しくなった。それほど身長が高くないは俺の腕の中で俯いていて表情は見えない。何の反応もない彼女を不思議に思って、その顔を覗き込もうとしたそのとき。
「うっ…!」
下腹部に強い衝撃が走って、思わず呻き声を上げてその場に膝をつく。どうやら彼女の膝蹴りを食らったらしく、痛みに悶えながら顔を上げると、はボロボロと涙を零していた。それは、今日の部活前とは比べ物にならないくらいで、見上げる俺の頬を彼女の涙が濡らしていく。呆然とする俺に、は「…最低」と呟いてそのまま体育館を出て行ってしまった。
「これは前途多難どころじゃないぞ、及川」
呆けたままの後ろ姿を見送った俺に、いつの間にか隣に立っていたマッキーが引き攣った顔でそう言った。未だ腹の痛みが治まらない俺は、が怒って泣いた理由もマッキーの言葉の意味も、何もかもが分からなくて混乱するばかりだ。頬に残る彼女の涙が冷たい。
「及川さん、何が起こってるか理解できないんだけど。誰か説明して」
「あー…多分、は及川の告白をからかわれてると思ったんじゃない?まぁ、普段の及川の言動を考えたら当然だけど」
松つんの解説に腹の痛みが増した。好かれてはいないとは思っていたけど、告白を受け取ってすら貰えないなんてちょっと、いや…かなりショックだ。
「自業自得だな」
「俺、に同情するわ」
ここには落ち込む俺を励ましてくれる優しいチームメイトは一人もいないらしい。さらに、クールダウンを終えたらしい国見ちゃんが未だ床に座り込んだままの俺の横を通りすぎるとき、「ご愁傷様です」と抑揚のない声で呟いて体育館を出ていった。金田一は「おい!国見!」とそれを咎めながらも俺の味方になる気はないようで、視線を逸らしながら「おつかれッス!」と逃げるように国見ちゃんの後を追っていく。それを見つめながら、決心した。
「絶対、落としてやる」
「まぁ頑張れ。ただ…これ以上、を泣かすなよ」
応援する気のない応援の後、少しだけ本気のトーンで松つんが言った。そんなこと、言われなくても分かってる。絶対に振り向かせてやるから覚悟しててよ、!
灰かぶりのシンデレラ