報われない恋をしている――。
私が彼と知り合ったのは中学一年生で、彼を好きだと気付いたのは中学二年生のときだった。ただの仲良しの男友達だったはずの彼に恋をして、だけど、その恋に気がついた瞬間に私は失恋をした。私が彼への恋心を自覚した瞬間――それは、彼にカノジョという存在ができたと知った瞬間だったから。私は好きだと伝えることもできず、かといってこの恋を終わらせることもできず、高校三年生になった今も友達を演じながら彼に恋をし続けているのだ。
彼にとっての私は、きっと腐れ縁の女友達くらいの認識だろう。我ながら女優になれるのではないかと思うくらい、彼は私の隠し続けている恋心に露ほども気が付いていない。だけど、私の演技が通用するのは彼に対してだけだった。
「ってさ、松川のこと好きだよな?」
間違ってたらゴメンと前置きしてそう言ったのは、今年同じクラスになった花巻だった。私の想い人である松川一静と同じバレー部で何かとノリのいい花巻とはすぐに仲良くなったのだけれど、友達歴6年の松川が一切気が付いていない事実を、友達歴3ヶ月の花巻はあっさりと見破ってしまったのである。
「松川には言わないで」
肯定も否定もせず、ただそれだけを口にした私に花巻は「分かった」と頷いてくれた。松川の隣にいることが許されるのなら、たとえ心臓がキリキリと痛んだとしても、私はこの“友達”という肩書きで十分だから。
「でもさ、はツラくないの?あー…ほら、松川がお前に相談したりするからさ」
花巻の言いたいことは分かる。私が恋を自覚する切欠でも、失恋した原因でもあるカノジョと松川は今も順調にお付き合いを続けている。ひとつ歳上の彼女と面識はないが、遠目に見たことはあるし、大人っぽくてキレイな人だ。そんな彼女とのお付き合いにおける松川の相談相手は、専ら私の役目である。カノジョ以外に松川が相談できるような仲が良い女の子は私だけだし、お付き合いの経緯も全て知っているから適任だったのだろう。
デートのプランや彼女へのプレゼントを一緒に考えたこともあるし、喧嘩したときには仲直りできるようにアドバイスだってした。好きな人が他の誰かのことを恋しく思う姿を見て、ツラくないわけがない。彼を想って一人で泣いた夜は片手なんかじゃ足りない。だけど、不思議と別れてしまえばいいのにと思ったことはなかった。
「松川が幸せそうにカノジョのことを話すのを聞くのは嫌いじゃないの」
「それならいいケド。でもまぁ…耐えきれなくなったら、そのときは慰めてやるよ」
「うん…ありがと」
「惚れてもいいよ?」
「花巻はいい男だけど、惚れないよ」
「そりゃ残念」
「全然残念そうに見えない」
そうやって笑いあったのは、ほんの数日前だったのに。
「俺、彼女と別れた」
購買にお昼を調達に行った花巻を待っているとき、突然松川が発した言葉に私はしばし思考が停止した。今、松川はなんて言った?別れた?ちなみに今日はエイプリルフールでもないし、彼がそんなくだらない嘘を吐くような人間ではないことは私がよく知っている。つまり、それは事実だということで。
「は…なんで?」
掠れた声でそう返した私に、松川は流し読みしていたバレー雑誌をパタンと閉じて両腕を頭の後ろに組んだ。随分と余裕があるように見える松川に反して、私は思いっきり動揺している。
「まぁ、理由は色々あるけど、一番はすれ違いってやつ」
この春、歳上のカノジョは大学生になった。大学生になったことで自由な時間も出会いの場も広がった彼女と毎日バレー漬けの松川は、少しずつ距離が広がって、ついには終焉を選んだのだという。
「最近は俺もあんまり会いたいとか思わなかったし、潮時だったのかもなぁ…って、?」
確かに、最近はカノジョの相談なんて聞いてなかったけれど。きっと、上手くいっているんだと思っていた。というか、別れたと聞かされた私の正しい反応が解らない。“友達”として、どうすればいいのか解らなくなった。花巻、たすけて。
「ただいまーって、どうした!?」
デザートのシュークリームを手にしてご機嫌で戻って来た花巻は、私を見るなり焦ったように駆け寄って来た。どうしたって、そんなの私が知りたいよ。身体が震えて、今にも泣いてしまいそう。松川がカノジョと別れたことは喜ばしいはずなのに、どうしてか苦しくて堪らない。まるで、自分がフラれた気分だ。あぁ…もしかして。
「っ、ごめん、先食べてて」
それだけ言い残して、私はダッシュで教室を出る。松川の顔を見ることはできなかった。
◆ ◆ ◆
あれから1週間、私は松川を避けまくっている。松川からラインが届いても既読スルー。お昼ご飯を女友達と食べていれば、クラスが違って部活に忙しい松川とは会うこともなくなるので、彼を避けるのは容易だった。しかし、そんな私の態度に思うところがあったのか、ついに花巻から呼び出しを食らった。
「で、どういうつもりなの」
「………」
「カノジョと別れたっての、にとっては嬉しいニュースだろ」
昼休み。人気のない屋上へと続く階段の中腹で、私は座って下を向いたまま。花巻にだったら、誰にも言えなかった本音をほんの少しだけ吐き出せるかもしれない。
「……私ね、たぶん自分とカノジョさんを重ねてたんだと思う」
一緒に考えたデートのプランは私が松川と行きたい場所だった。雑誌やネットを見ながら選んだプレゼントは、私が松川に贈ってもらいたいものだった。喧嘩したと聞いてアドバイスしたのは、私なら松川と喧嘩なんて耐えられないと思ったから。協力するフリをして、友達のフリをして、私は頭の中でずっとカノジョを自分に置き換えていたのだ。
「自分が最低すぎて、松川と顔合わせらんない」
抱えた両膝に顔を埋めてそう呟くと、頭上からハァと溜め息が聞こえて隣に座る気配がした。子供をあやすように頭をポンポンと撫でられる。それは松川にやってほしかったと言ったら、花巻は怒るかな。
「なんで私、松川のこと好きになっちゃんだろ…」
好きにさえならなければ、自分がこんなに嫌な子だって知らなくて済んだのに。好きにさえならなければ、苦しい想いをすることも、一人で泣いたりすることもなかったのに。
「そんなこと言うなよ」
不意に隣から聞こえた声は花巻じゃなかった。というか、この声は。驚いて顔を上げると、隣で私の頭に手をのせているのは松川だった。私は花巻と二人でここに来たはずなのに、どうして松川がいるのだろう。それどころか、いつの間にか花巻の姿はない。混乱する私に、松川は少し居心地悪そうに口を開いた。
「悪い。が避けまくるからさ、ちょっと花巻に協力してもらった」
「……今の全部聞いてたの?」
「………おう」
知られてしまった。私がカノジョと自分を重ねていたことも、松川を好きなことも、ぜんぶ。真っ白になる私に、松川は「ゴメン」と呟く。
「改めて言わなくてもいいのに。松川にとって、私がそういう対象じゃないことくらい知ってるよ」
あぁ、でも伝えられないと思っていた気持ちを伝えられて、ちゃんと答えが貰えたことはよかったのかもしれない。妙にスッキリした気分になって、私は松川に笑いかける。今、ちゃんと笑えてるだろうか。
「違う。そうじゃなくて、今まで気づけなくてゴメンってこと」
「……?」
松川の言わんとすることが分からなくて首を傾げる。松川自身も曖昧なのか、珍しく言い淀んで視線をウロウロさせた後、ようやく私の目を見た。スッキリしたなんて言ったけれど、こうして目が合うと、やっぱり松川が好きだと自覚させられる。
「彼女と別れたばっかだし、今すぐには無理だけどさ…考えさせてくれない?」
「……意味が分からないんだけど」
「のこと、ちゃんと考えたいって言ってんの。ずるいって分かってるけどさ、保留させて。あんま待たせないようにするから」
ちゃんと考えたいって…まだ諦めなくていいの?私はまだ松川のことを好きでいていいの?光の見えない真っ暗なトンネルに、遠いけれど出口が見えた気がした。
「もう何年も片想いしてるんだから、今さら待つくらいどうってことないよ」
「それ言われるとダメージでかいんだけど」
「ふふ、」
思わず笑った私に、松川がホッとしたように「やっと笑った」と言った。どうやら、さきほど笑いかけた顔は失敗していたらしい。やっぱり私は女優には向いてないななんて考えていると、再びポンと頭に松川の手がのった。
「はそうやって笑ってる方が可愛い」
「…わざとなの?」
「さぁ、何のことやら」
私の気持ちを知ったうえでそんなことを言うのだから、タチが悪い。だけど、好きな人が自分に向き合ってくれることがこんなにも幸せだなんて。どんな結果になっても受け止める覚悟は出来ているけれど、許されるのなら。
神様、もう少しだけ
(彼を好きでいていいですか。)